霧が立ち込める森の中。一人の少女が息を切らせ、大粒の汗を流しながら走っていた。 ――どうして、どうしてこんなことに。 理由なんか、とっくにわかっていた。 自分のせいだ。 自分が「水晶の眠る丘に行こう!」なんて言わなきゃよかった。 いいつけは守るべきだったんだ。 行こう!って言ったから。 私が、言ったから。 ――逃げて…!遠くへ、できるだけ遠くに!! 俗に「世界の北のほう」と呼ばれている大陸がある。 その大陸の真ん中から少しだけ端に外れた場所に、年中霧が立ち込める森があった。 「霧が晴れない森にはエルフが住んでいる。」人前にあまり姿を見せない、エルフという種族に対する伝承のひとつだ。そしてその伝承のとおり、その森の中には「エルフの里」があった。 「リアナホープ」とか「リアナの里」と、そこの住人たちは自分の住んでいる「ここ」をそう呼んでいた。 リアナホープはエルフの里。ここには実にさまざまなタイプのエルフが暮らしていた。 例えば…、金髪に白い肌、そして碧い目のあの少女は、純粋まじりっけなしの「ライトエルフ」。 その隣にいる、黒髪に黒い目の一見すると普通の人間のような少女は、「ハーフエルフ」と「ライトエルフ」の間に生まれた「クオーターエルフ」だ。 その二人をじっと物陰から見ている金髪で紅い目の少年は、「ライトエルフ」と「ダークエルフ」の間に生まれた「ハーフエルフ」であった。 エルフという種族はさまざまな経緯によって、他種族から迫害されやすいため、自分たちの血が他種族と混ざるのを極端に嫌う。ハーフやクオーターはもちろん、ライトとダーク同士でもだ。ゆえに、同じ土地にこんなにもさまざまなエルフが暮らしているというのは、他にないだろう。 「水晶が眠る丘かぁ…。ねぇねぇサキ、水晶って人どのくらい寝てるのかなぁ?」 「……サラ……ちげぇ、水晶って言うのは人じゃなくて、……うーんと、ただのきれいな石っころだよ。」 金髪に碧い目のライトエルフの少女・サラは、黒髪に黒目のクオーターエルフの少女・サキに突っ込まれて、かぁっと顔が赤くなった。 水晶が眠る丘。 先ほど里の中央広場で、里長が住人たちを声高らかに集めて説明していた。里長の家の裏手にある丘のことである。どれほどの高さがあるのかは霧で隠れていて見えない。その丘は遊歩道になっていて、里からしばらく上ったところまでは舗装された道路と階段が続く。 しかしちょうど霧で周囲が見えなくなる地点からは舗装された道路も獣道になってしまい、草木で覆われたその先は誰も上ろうとしなかった。 それもすべて「水晶」を守っているからと、里長は言う。 里が魔物に襲われずにいられるのも、「水晶」のおかげ。霧がいくら深くとも、里から外界へ容易に行き来できるのも、だけどよそから来るものの進入をある程度拒むことができるのも、その「水晶」のおかげであると。「水晶」の守る力はそれが眠ることで発揮される。だから「水晶を起こしてはならない」。「水晶に近づいてはならない」。と。 「よし…! ねぇ、サキ。そこにしようよ!」 サキは急に手をつかまれ、たいそう驚いた様子でサラを見た。 「えっと…、なにが?」 「水晶を見に行くの!私たちの、初めての冒険。」 どうやら、行くなと言われたのが余計にサラの探究心をくすぐられたようだ。突然のことにポカンとサラを見ていたサキは、ふむとあごに手を当て、ちらりと視線を丘に移した。里で定番のお散歩コース。霧の森の外へ行くよりも、こっちのほうが危険は少ないかな。 少女たちはもっとずっと小さいときから一緒で、幼馴染だった。 里の暮らしはそんなに不自由はなく、平和だった。時折外から旅人がやってきて、彼らが語る外の世界の話に夢中になった。いつか自分たちも里の外へ出て、いろんな場所を回りたい…冒険したいと思っていた。しかし、外には旅人を襲う魔物という動物がいるらしいし、危険といつも隣り合わせだと聞いていた。少しだけ霧の森に入っては戻ってを繰り返して「練習」していたが、そろそろ「本番」をやってみたいと思っていたところだった。 「…そうだね。サラ、虫とか、蛇とか平気になった?」 その単語を聞いてサラは一瞬ビクッとしたが、ゲンコツを胸に当てて「大丈夫!たぶん!」と言った。たぶん、は、当てにならないかな…とサキは思ったが口には出さなかった。 出発は明日の早朝。日が昇る少し前に家を抜け出して水晶の眠る丘の入り口に集合、と、二人は約束して別れた。 そして、そんな会話をじっと聞いていた少年は、二人に気づかれることなくその場を後にした。 緩やかに蛇行する、舗装された坂道を登っていく。草むらが突然がさがさっと揺れ、そこから蛇が顔を出したときは、やはりサラが声にならない声を上げて硬直した。サキは鞘に収めたままのナイフでちょいちょいと蛇をつつくと、蛇はするすると草むらの中へ逃げていった。あきれた顔でサキはサラをそのナイフでつつく。やめてよおおと半泣きになりながら、サラは持ってきた杖でぽこぽこサキを叩いた。 「えっ、ちょ、なにこの杖、やわらかっ!」 あまりにも痛くなさ過ぎるので、サラの杖の先端を見てびっくりした。猫だ。猫がいる。 「あっ、これ?おかーさんが作ってくれたの。かわいいでしょー?」 「あほか!かわいすぎて戦力にもならんわ!攻撃力1だ!1!!」 練習だと思って甘く見ているのかとあきれたが、結局サラにとって冒険の旅に出るとは夢物語なのか…と、サキは少しため息をついた。 それでも、私は… しばらく坂と階段を上ると、舗装された道路が無くなり、獣道に変わった。それと同時に周りが霧に包まれてくる。サラがきゅっとサキの服をつかんできた。少し怖いのか。サキはサラの手を握った。サラもぎゅっと握り返してきた。 何も見えない。白い。だけど足を止めてしまっては、どっちから来たのかわからなくなってしまう。進むしかなかった。 周りは一寸先も白で覆われていたが、足元はかろうじて見えた。草をよけ、少しでも道になっている部分を歩く。 すぅっと風が通った。サキとサラの額の汗が冷たく乾いていく。 一面に広がる草原と青空。ところどころ地面から顔をのぞかせるそれは、水晶の塊だった。 「わああ…、これが水晶?」 その透明度の高さにサラが感嘆をもらす。サキはうんとうなずき、別の場所から姿をのぞかせる紫水晶に目を奪われた。 よくよく見るとその水晶と紫水晶は、木の根っこのように地下でつながっているように見えた。二つの石は時に絡み合い、時に地面にもぐり、時に地上へ突き出すように、丘の草原一面に張り巡らされているようだった。 サキとサラは吸い寄せられるようにそれを辿って行く。 どこまでも続くと思われた草原と水晶のうねりは、突然終わりを告げた。目の前に立ちはだかったのは、水晶と紫水晶で出来た大木のようなオブジェだった。 「うわああ…すごいねぇ…!」と、サラは水晶に手を触れた。 「これは予想以上だ…」と、サキは紫水晶に手を触れた。 二人が手を触れたと同時に、辺りはまばゆいほどの光に包まれた。 二人の手からぐいぐいと水晶が体の中に入っていくような感覚があった。 いたい きもちわるい なにこれ しらない わからない いやだ やめて そう感じるよりも先に、意識が飛んだ。 「………ラ、……サラ!」 どこからともなく自分を呼ぶ声がする。 だれ…? 「サラファーク!!」 サラの目がぱちっと開いた。ぼやけた視界の先に見慣れた顔がある。この子は、えっと、…… 「リョウ…くん… ……?」 サラの口からかすかに漏れた自分の名前に、少年…リョウは安堵の表情を浮かべた。 起きれる?と言われて、サラは身体を起こしてみる。とてつもなく身体が重い。なぜ?……胸も苦しいような気がする。リョウは懐からすっと眼鏡を取り出し、サラに差し出した。しかしサラはぼうっと空を仰いだまま、目の焦点が合っていないようだった。少し躊躇したが、リョウはそっとサラに眼鏡をかけてあげた。 「……ここ、どこ?」 そこは森の中だった。辺りは暗く、少し霧が出ている。水晶の眠る丘?それとも霧の森? 「ここは霧の森。もうすぐ外に出るところあたり、かな。」 リョウに支えられながらサラは何とか立ち上がってみる。サラはきょろきょろと辺りを見渡した。見たことのない木の形と並び。いつもサキと冒険に来てた場所じゃない、知らないところだ。 はっと息を呑んだ。 「サキ、サキは?リョウくん、サキは??」 サキの名前を聞いてリョウは顔を曇らせ、目をそむけた。サラは水晶の眠る丘に行ったことをリョウに話した。だが、そこで何があったのか覚えていないことに気がつくと、恐怖がざわわっとあふれてきた。 「ご、ご、ごめん、なさい…」 「……なんで?謝るのは、……僕だ。」 え…?とサラがリョウの顔を見つめた。 里長と共に、リョウはサラとサキの後を追って、水晶の眠る丘をのぼった。 里長とリョウが丘の上で見たのは、サラとサキの美しく禍々しい力の饗宴だった。 サラは白く、サキは黒く輝くものに覆われていて、とても二人とは思えないほど大きく目を見開いて対峙していた。 サキが手をかざすと地面が大きくえぐられ、跡形もなく土や草や石を消し飛ばす。すかさずサラが手をかざし、その土や草や石を、地面を元に戻していた。 リョウには二人が何をしているのかわからなかった。絶句して二人を見つめていると、里長が突然笑い出した。 「やっと、やっと人の手に渡ったか、究極の魔法が!」 これが?究極の魔法?? 里長はなにやら詠唱を唱え始め、サキに向けて法術を放った。一度はサキの何らかの力にはじかれるも、細かくしつこく放たれた里長の法術は、サキの手を、足を、口を、体を、身動きを封じた。 サキにまとわりついていた黒いものが消えていく。がくりと意識を失ったサキは、里長の手中に納まった。 「伝承によれば、こっちが究極の魔術…破壊のサクリファイスだな。」 サキの意識がなくなると同時に、サラにまとわりついていた白いものも次第に消え、その場に崩れ落ちた。リョウがサラに駆け寄った。サラは気絶したようで、すうすうと寝息を立てていた。 水晶に封印されていたのは「究極の法術・癒しのサクリファイス」 紫水晶に封印されていたのは「究極の魔術・破壊のサクリファイス」 自身の寿命と引き換えに、すべてを癒すことができ、すべてを破壊することができる、対なる秘術。 幼き二人のエルフには器が小さすぎた、ゆえに暴走したのだろう。そう里長は言った。 すべてを癒し、すべてを壊す力。里長はそれが欲しかった。 しかし自身の寿命を削るのは嫌だった。 だから、誰かがそれを手に入れるのを待っていた。 だから、その力を誰かが手にする瞬間を待っていた。 「これは…なんと言ったか?」 「…サキ・ヤナガワ、ハーフエルフのリュウキ・ヤナガワと、ライトエルフのユキアヤセの娘です。」 「クオーターか…。まぁいい、ハーフと純ならばそこそこの量だ。そっちは?」 「……サラファーク、ライトエルフのニツと、同じくライトエルフのトイの娘です。」 「チッ… 破壊のサクリファイスはそっちのほうがよかったが…、仕方ない。」 力を使うには対価として「寿命」を消費する。 里長は破壊の力が欲しかったようで、癒しの力は若干軽視しているように見えた。 エルフの寿命は長い。エルフの祖先は樹から成ると伝えられるとおり、その寿命は幾千年にも及ぶ。二人は九歳という若いエルフであり、もっとも里長が待ち望んでいた状態であったに違いなかった。 「リョウ、そっちはお前が連れて来い。」 「………はい。」 これで、この力を使って、里長は…… 「……この二人はなんだ、友、か?」 「えっ、……そのように、見受けられます。」 「そうか…、ならば、それを脅しに使えるな。」 里長はにやりと笑うと、サキを連れて丘を降りていった。 「だから、逃げて。」 サラは息を呑んだ。 「サキ、は?」 「サキちゃんは…、サキちゃんも僕が何とかする。」 リョウはあの後サラを連れて、里には戻らずに反対方向の道なき道を滑り降りた。 サラをおぶって走った。獣道も、霧も気にせずに、ひたすら里とは反対方向に走った。 多い茂る草で手を切ったり服が切れたりしたが、自然と治っていた。おぶっているサラの肌が傷だらけなのに気がついたのは、だいぶ経ってからだった。サラのサクリファイスが、自分に勝手に作用していた。サクリファイスは術者自身は治さないのか。リョウは慌てて、サラに回復の法術を施した。白い球体がサラを包み込み、傷を癒していくのを見てほっとした。しばらく草と木の陰に身を潜めることにし、夜になったところでサラが目を覚ましたのだった。 「大丈夫、サキちゃんは傷つけられるとかはない…と思う。」 むしろ、傷をつけられるのは…… そう思うと心が痛んだ。 「ごめん、君らが水晶の眠る丘に行くと話していたのを聞いてた。里長に知らせて、君たちを水晶に近づけないように止めに行くんだと、思っていた…けど…」 間に合わなかった。んじゃ、ない。手に入れるのを、見守って、いた。僕は。長は。 「だから、逃げて。サラちゃん。つかまっては、いいように利用されるだけだから。」 「逃げる…って、いわれても…」 サラは今にも泣きそうだった。 「……僕も、外の世界はわからない。だけど、この前里にたどり着いていた旅人は、あっちの方からきたと言っていた。…こっちが里の方角。だからこっちへまっすぐ行けば、もしかしたら、……」 もうすぐ霧も晴れてくる場所まで出れるはずと、リョウはポケットから銅貨を一枚取り出してサラに渡した。 「ごめん、これしかないや…。外の世界でもきっと使えるはず。だって、その旅人にもらったお金だから。」 逃げて! サラはリョウが指し示す方向へひたすら走った。 リョウから貰った銅貨を握り締めて、わけもわからず涙をボロボロこぼしていた。 ひたすら、ひたすらサキに謝り続けながら、走った。 走ることにも、謝ることにも疲れ始めたころだった。 初めて、サラは里の外で「人」に出会った。 頭の上の、ずっと空のほうから、「だれかおるでー!!アスラさまー!!!」という声が聞こえた直後のことだった。 その頃、とある町の冒険者ギルド…旅人たちの集う働き口斡旋所の掲示板に、新しいクエスト(依頼)が張り出されていた。 『 探し人:サキ・ヤナガワ 依頼主:リョウ・リアナホープ 』 |